今回は、鹿島アントラーズに所属する安部裕葵選手の高校時代・鹿島アントラーズ・日本代表時代のエピソードや人物像についてご紹介します。
2019年7月にはスペインリーグ(リーガエスパニョーラ)のバルセロナから獲得オファーが届き、先に同じくレアルマドリードへの移籍が決まった久保選手に続きビッグクラブへの移籍が実現するか注目です。
【年】 | 【背番号】 | 【カテゴリ】 | 【出場】 | 【得点】 |
2017年 | 30 | J1 | 13 | 1 |
ルヴァンカップ | 1 | 1 | ||
天皇杯 | 2 | 2 | ||
ACL | 1 | 0 | ||
2018年 | J1 | 22 | 2 | |
ルヴァンカップ | 2 | 0 | ||
天皇杯 | 5 | 1 | ||
ACL | 6 | 1 | ||
CWC | 3 | 1 |
鹿島安部裕葵選手のエピソード
鹿島安部裕葵選手のエピソードやインタビューから見えた人物像を、高校時代からご紹介します。
広島瀬戸内高校を選んだ理由
幼いころからプロになることを目指していた安部選手。高校進学に当たり、出身地の東京を離れて広島県のサッカー強豪校瀬戸内高校への進学を自分の意志で決める。
これは高校3年時に高校総体が広島県で開催され、広島県代表として2校出場できることが分かっており、プロのスカウトの目に留まることをねらっていたことが一因だとインタビューでも語っている。結果として2016年高校総体では瀬戸内と広島皆実の2校が出場。
鹿島アントラーズへの入団をつかみ取る
2016年の高校総体では3回戦を突破、ベスト8まで進出し、安部選手は3ゴールを挙げる活躍を果たします。

鹿島アントラーズの名スカウト椎本邦一さんは元々、現在コンサドーレ札幌で活躍している京都橘の岩崎選手を目当てに観戦していた (京都橘は2回戦でPK戦で敗退)。そこで目に留まったのが安部選手だった。
視野が広くて、タッチのリズムが独特で、一目見て気になりました。でも、ちょうど、同じポジションで別の選手にオファーを出していて、それが断られたタイミングでした。あっちに断られたから、次はこっちというのは、本当に失礼なこと。だから先生にすべてを打ち明けたうえで話をさせてもらったら、『これも縁ですから』と言ってくれました。
先生との信頼関係があれば、正直な話を聞かせてもらえるし、実際選手と話すことでわかる。裕葵と話したとき、僕のなかでは岳に似たものを感じました。自分を客観視する眼を持っているなって。成長するためには、そういう客観視できる冷静な眼と心が不可欠ですから。あと、プロ向きの性格かどうかというのもありますね。やっぱり、優しすぎる選手はプロの競争のなかでは生きていけない。『こいつを蹴落としてでも俺が』という欲は必要です(鹿島のスカウト担当部長は、 「安部裕葵に柴崎岳と似たものを感じた」)
また、当時は大学進学も視野に入れており、先生からは「いきなりプロにいってもつぶれるだけだから、大学に行ってほしい」と言われていたという。
さらに先生は可能性が低いものとして「鹿島からオファーがあるなら、俺は勧めるよ」と鹿島アントラーズの名前を出されていたと話している。
アンダーカテゴリーでの代表選出
それまで日本代表とは縁遠かった安部選手ですが、プロに入った2017年にアンダーカテゴリーのU-18日本代表に選出されます。東京オリンピック世代のこのチームで背番号10番を背負い、キャプテンマークもまくなど、チームの中心選手に。
また、2018年のロシアワールドカップではトレーニングメンバーとして、A代表に帯同。さらにその紅白戦ではトレーニングメンバーの中では唯一、A代表側のメンバーに入るなど能力の高さが認められています。
そして、2019年のコパアメリカで初めてA代表に選出され、3試合のA代表キャップを刻みます。
プロ1年目の成長
プロ1年目の初出場は2017年4月1日の大宮アルディージャ戦。初先発は同4月22日のジュビロ磐田戦。同6月21日天皇杯2回戦FCマルヤス岡崎戦でプロ入り初得点を含む2得点1アシストの活躍を見せます。
そして、7月22日、JリーグワールドチャレンジのセビージャFC戦では後半途中出場。ダブルタッチなど独特なリズムのドリブルから相手を引きつけてラストパスを出し、鈴木優磨選手の先制点をアシストして勝利に貢献した。試合後、対戦相手のスペイン代表左サイドバックのセルヒオ・エスクデロからもっとも印象に残った選手として挙げられていました。
鹿島アントラーズでのアジア制覇
プロ2年目、主力として臨んだアジアチャンピオンズリーグでは、見事優勝を納めます。得点やアシストなど、攻撃面での活躍もさることながら、クレバーなプレーも印象に残りました。
鹿島スタジアムで行われたACL決勝の1stレグ、カウンターのピンチをイエローカードも辞さないプロフェッショナルファールで阻止。1プレー目はミス、次の判断はベスト、と冷静に振り返り、大きな成長を見せました。
ACLの決勝でもあったんですけど、それが人生初の意図的なファウルで、そのときは自分でも驚きましたね。こういう選択肢を持てるようになったんだって。ファウルで止めるのは確かに見栄えが良くないですけど、勝ちにこだわるためには、ときに必要なことだと僕は理解しています。たぶん、あのプレーは、このチームにいなかったら、できなかったと思います。(安部裕葵選手インタビュー)
クラブワールドカップでの挫折

ACLで優勝し、FIFAクラブワールドカップでは1回戦ではゴールを決め、準決勝ではレアルマドリードと対戦。
フル出場を果たしたものの力の差を見せつけられ、1-3で敗戦。この試合後に涙を流した場面について、最後のタイトルを目指して戦っているなかで負けてしまい、自身がケガをして復帰した事も含めてチームのこの一年の戦いを思い返して感極まってしまったと振り返りました。
周りからは悔し泣きに見えたかもしれないですけど、そうではなくて。満男さんが辞めるのは知っていたので、最後のタイトルを目指して戦っているなかで負けてしまって。でも、アジアのタイトルを獲ることはできて、『この1年、すごく充実してたな』っていう想いがこみ上げてきたんです。もちろん、国内タイトルが獲れなかったのは残念ですけど、そうした勝ち負けや、自分がケガをして復帰したことも含め、いい1年だったなって。それに最後、チームメイトとハンドシェイクしたとき、『自分は今、本当に恵まれた環境にいるんだな』と思って、感極まってしまいました。 (安部裕葵選手インタビュー)
鹿島アントラーズの10番
プロ3年目には鹿島アントラーズで背番号10を背負います。過去、ジーコ、レオナルド、ビスマルク、本山選手、柴崎選手、金崎選手が背負ってきた鹿島アントラーズの栄光の10番を20歳でつかみ取ったのは異例とも言え、クラブの歴史に大きな足跡を残しています。
1年目が終わったとき、背番号を変えるという話があったんです。でも、そのときは10番じゃなくて、『10番じゃないなら、30番のままでいいです』と返事させてもらって。それから1年が経って、自分の中でなんとなく『もしかしたら、あるんじゃないかな』と思っていて。
そうしたら、やっぱり10番を提示してもらえて。もちろん、30番だろうと、10番だろうと、僕がやることは変わらないですけど、注目度は全然違う。そういうプレッシャーに自分が勝てるかどうか。それは楽しみのひとつです。
攻撃の選手だったら、ストライカーは別ですけど、それ以外のアタッカーだったら、誰もが10番を目指すべきだと思いますし、一番格好いいじゃないですか。だから、それを目指すのは当たり前だと思っています。 (安部裕葵選手インタビュー)
東京オリンピックでの活躍に期待
インタビューではアイドルに興味がない、とも語り、メディア取材の語り口からクールでスマートな印象が強い安部選手。クラブでも10番を背負い飛躍が期待される2019年シーズン。東京オリンピック2020に向けて、トゥーロン国際大会では同世代が活躍しています。日本代表の選考も激化していますが、チームや日本代表を引っ張っていく存在として今後の活躍に期待しましょう。
また、安部選手の出場試合やスペインリーグのリーガエスパニョーラの試合はDAZNで見ることができます。ハイライトや追っかけ・見逃し配信・スマホやTVの複数台視聴も出来るなど機能も充実しています。

